1246年(寛元4年)、大覚禅師(蘭渓道隆)が宋(今の中国)より来朝し大宰府に舘せらるる。ただちに鎌倉幕府五代執権・北条時頼は大伽藍を矢倉門に創建し、師を開山祖師とした。時の戦乱・兵火により傳燈の系統、歴年の事跡等すべて焼失した。博多の圓覺寺は寛永13年(1636年)聖福寺の境内に基礎を移転した。
利休の茶の教えを、禅宗の僧・南坊宗啓が記録したものを福岡藩家老立花実山が書写して福岡に持ち帰り、藩士をはじめ茶衆と共にこの書を聖典として南方流を開きました。 円覚寺では、立花実山直筆の「南方録」が、伝承されており、茶と禅の一味の道場として知られています。