■黒田藩士 立花実山居士■ |
千利休が没して百年後、南坊宗啓の秘伝書を編纂したのが黒田藩士立花実山でございます。立花実山は黒田藩三代藩主光之公の参勤交代の同行途中にその秘伝書の存在を知り五巻を入手し、さらに二巻を見つけ書き写されました。 |
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立花実山が編纂した本には書名がなかったので、禅の師である臨済宗大徳寺派崇福寺の古外禅師に依頼して「南方録」と名付けられました。南方録とは中国の茶経という本の中に、南方の嘉木七碗仙霊に通ずという句の中より取りだし、茶の本という意味でございます。 |
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立花実山は生涯を通じて藩主光之公の身近に仕えた武士でございます。茶道はもちろん書画や詩文や弓道に秀で、また崇福寺古外禅師に就き修行し、古外禅師が京都の本山に戻られた後は、江戸で当時の一代名僧卍山洞白に就かれて蘊奥を究め印可を受けておられます。まさに文武両道の当代切っての文化人でございます。 |
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